元学芸員が読み解く、食べていけたアート作家のブランディングとマネタイズ
クレイジーな人はクレイジーだ!(いい意味で。戦略的にも)
こういうの思いつくのも、1つの才能かもしれないなと思いながら、読みました。
しかし、私たちは過去の事例から学ぶことができる!先人たちの知恵を最大限活かして、やってみることが大事ですね。
Nobukoさん、私もやり切る人がその先に行けるんだな〜と先人の成功例を研究していて感じています。
ここまでやったからいいや、ではなく、もっと、もっとってできる人が見える世界があるような気がします。
そしてたくさんの成功例がありますので、その中に必ず自分にとっての成功例があると思い、アートで食べていける人を作りたく、この記事を書こうと思い立ちました☺️
ダリを奇人ではなく設計者として読む視点が面白かったです。
読み終わったあと、チュッパチャプスのロゴまで違って見えてきました。これはなかなか強い副作用です。
舞原さん、感想ありがとうございます。
子供の頃、ダリなんて知らずに、チュッパチャプス食べてました。
すごいことですよね。
やはり、楽しみに待った甲斐がありました。
非常に興味を惹かれる内容です。
特に、私が惹かれたのは、批評家集団から除名された箇所です。
難しい単語の詳細はわかりませんが、恐らく、
「自由な発想が芸術であるべきなのに、だんだんと計算高く、意図的になりすぎた」
という理由で外されたんだろうなぁって解釈しています。
もしそうならば、過去に聞いたことがあるフレーズを思い出しました。
「勝つのはアインシュタインではない。ダーウィンである」
という言葉です。
生き残るのは、頭が良い人や、天才ではなく、変化に適応できる人。
正に、ダリが取り組んだ所業そのものだったように思います。
そして、それを認めなかった批評家軍団。
『チ。』の教会側の思想と似ていますね。
そこから、大衆メディアに移行する視点の切り替え。
その時代では、考えられなかった、タブーだと思われていた背景が目に浮かびました。
現代の販売経路に関しても、めちゃくちゃ同意の部分もあり、伝えたいのですが...
これ以上長くなると申し訳ないので、ここまでで😊💦
今回も、貴重な記事を読ませていただきました!ありがとうございます✨
いえ、とても本質的な視点だと思います。
私も、ダリが批評家集団から距離を置かれていった背景には、 「純粋芸術」であることを求める側と、 芸術をどう社会に流通させるかまで含めて設計し始めたダリとのズレがあったのではないかと感じています。
おっしゃる通り、 「自由な発想」だったはずのものが、 市場やメディアを横断し始めた瞬間に、警戒される。
ただ、ダリはそこで止まらなかった。
むしろ、 「芸術はアトリエの中だけでは生き残れない」 ということを、本能的に理解していた人だったのかもしれません。
だからこそ、
という言葉とも重なりますね。
変化に適応し、 作品だけでなく、 「見せ方」「流通」「語られ方」まで含めて更新していった。
その姿勢自体が、 当時の批評システムには危険に映ったのだと思います。
『チ。』の教会側との類似という視点も、とても興味深いです。
私、心からあの時代のC教を軽蔑しているので。
既存の価値体系の内部にいるほど、 新しい回路は「異物」に見える。
でも後から振り返ると、 時代を動かしたのは、 いつもその異物だったりするんですよね。
そして現代も、 販売経路や発信構造が大きく変わる中で、 似たことが起きているように感じます。
とても深く読んでいただけて嬉しかったです。 こちらこそ、丁寧な感想をありがとうございます✨
頑張る糧になりました〜〜〜〜〜!
風茜さん、いつも有意義なお話をありがとうございます!
自分にはどう活かせるだろう?と考えましたが、すぐには具体的な道筋が見えませんでした。
ですが、こういった知識があるだけで、そういったことにも意識が向けられるようにもなります。
楽しみながら読ませていただき、ふとした時に形になればいいなと言った感じであります☺️
これからも楽しみにしております。
ジャミさん、自分にはどう活かせるだろう?と考えることですでに一歩先の世界に行けていると私は思います。
意識すると関連した情報がどんどん入ってくると言いますから、そのふとした時が楽しみですね。
これからもどうぞよろしくお願いします☺️
クレイジーな人はクレイジーだ!(いい意味で。戦略的にも)
こういうの思いつくのも、1つの才能かもしれないなと思いながら、読みました。
しかし、私たちは過去の事例から学ぶことができる!先人たちの知恵を最大限活かして、やってみることが大事ですね。
Nobukoさん、私もやり切る人がその先に行けるんだな〜と先人の成功例を研究していて感じています。
ここまでやったからいいや、ではなく、もっと、もっとってできる人が見える世界があるような気がします。
そしてたくさんの成功例がありますので、その中に必ず自分にとっての成功例があると思い、アートで食べていける人を作りたく、この記事を書こうと思い立ちました☺️
ダリを奇人ではなく設計者として読む視点が面白かったです。
読み終わったあと、チュッパチャプスのロゴまで違って見えてきました。これはなかなか強い副作用です。
舞原さん、感想ありがとうございます。
子供の頃、ダリなんて知らずに、チュッパチャプス食べてました。
すごいことですよね。
やはり、楽しみに待った甲斐がありました。
非常に興味を惹かれる内容です。
特に、私が惹かれたのは、批評家集団から除名された箇所です。
難しい単語の詳細はわかりませんが、恐らく、
「自由な発想が芸術であるべきなのに、だんだんと計算高く、意図的になりすぎた」
という理由で外されたんだろうなぁって解釈しています。
もしそうならば、過去に聞いたことがあるフレーズを思い出しました。
「勝つのはアインシュタインではない。ダーウィンである」
という言葉です。
生き残るのは、頭が良い人や、天才ではなく、変化に適応できる人。
正に、ダリが取り組んだ所業そのものだったように思います。
そして、それを認めなかった批評家軍団。
『チ。』の教会側の思想と似ていますね。
そこから、大衆メディアに移行する視点の切り替え。
その時代では、考えられなかった、タブーだと思われていた背景が目に浮かびました。
現代の販売経路に関しても、めちゃくちゃ同意の部分もあり、伝えたいのですが...
これ以上長くなると申し訳ないので、ここまでで😊💦
今回も、貴重な記事を読ませていただきました!ありがとうございます✨
いえ、とても本質的な視点だと思います。
私も、ダリが批評家集団から距離を置かれていった背景には、 「純粋芸術」であることを求める側と、 芸術をどう社会に流通させるかまで含めて設計し始めたダリとのズレがあったのではないかと感じています。
おっしゃる通り、 「自由な発想」だったはずのものが、 市場やメディアを横断し始めた瞬間に、警戒される。
ただ、ダリはそこで止まらなかった。
むしろ、 「芸術はアトリエの中だけでは生き残れない」 ということを、本能的に理解していた人だったのかもしれません。
だからこそ、
「勝つのはアインシュタインではない。ダーウィンである」
という言葉とも重なりますね。
変化に適応し、 作品だけでなく、 「見せ方」「流通」「語られ方」まで含めて更新していった。
その姿勢自体が、 当時の批評システムには危険に映ったのだと思います。
『チ。』の教会側との類似という視点も、とても興味深いです。
私、心からあの時代のC教を軽蔑しているので。
既存の価値体系の内部にいるほど、 新しい回路は「異物」に見える。
でも後から振り返ると、 時代を動かしたのは、 いつもその異物だったりするんですよね。
そして現代も、 販売経路や発信構造が大きく変わる中で、 似たことが起きているように感じます。
とても深く読んでいただけて嬉しかったです。 こちらこそ、丁寧な感想をありがとうございます✨
頑張る糧になりました〜〜〜〜〜!
風茜さん、いつも有意義なお話をありがとうございます!
自分にはどう活かせるだろう?と考えましたが、すぐには具体的な道筋が見えませんでした。
ですが、こういった知識があるだけで、そういったことにも意識が向けられるようにもなります。
楽しみながら読ませていただき、ふとした時に形になればいいなと言った感じであります☺️
これからも楽しみにしております。
ジャミさん、自分にはどう活かせるだろう?と考えることですでに一歩先の世界に行けていると私は思います。
意識すると関連した情報がどんどん入ってくると言いますから、そのふとした時が楽しみですね。
これからもどうぞよろしくお願いします☺️